WANDER SHANGHAI

上海市黄浦区虎丘路20号

旧アジア文会ビル

Royal Asiatic Society Building

博物院と図書館から、現代美術の場へ

虎丘路20号には、学術、収集、現代美術の歴史が重なります。1941年の図書館写真と修復前後の街角をたどり、用途が変わっても街とつながり続ける建物を読み解きます。

古写真から歴史をたどる
虎丘路に面した旧アジア文会ビルの明るい修復後の立面

2010年の展覧会期

美術館初期の展覧会期に記録された修復後の建物。垂れ幕は過去の催しのものです。

Christian Richters / David Chipperfield Architects · 画像出典 · 原著作者・出典元に権利帰属

建物の概要

建築年代
1932年竣工・1933年開館現存する建物。旧会館の歴史とは区別
建築家
ジョージ・L・ウィルソン公和洋行(Palmer & Turner)
建築様式
アール・デコ中国と西洋の装飾要素の融合
当初の用途
博物院・図書館・講演室アジア文会北中国支会
現在の用途
上海外灘美術館2010年開館の現代美術機関
所在地
上海市黄浦区虎丘路20号旧称 Museum Road

建築と用途の資料[1] [2]

建物のはじまり

なぜここに建てられたのか

この場所での文化活動は、現在の建物より古い歴史を持ちます。19世紀、アジア文会北中国支会はここに図書館、博物院、講演の場を設けました。旧会館は後に建て替えられており、団体の設立年と現存建物の建築年を分けて考える必要があります。[1]

1930年代の新館は、研究と社会教育をアール・デコの建物にまとめました。外灘の銀行ホールとは異なり、主役は本、標本、展示、講演です。誰が知識を集め、誰が文化の場に入れたのか。今の私たちにも問いを投げかけます。[1] [2]

見上げて、近づいてみる

足を止めて見たい三つの細部

まず縦のリズムを見る

虎丘路の向かい側から見ると、細長い窓と段状の上部が縦のリズムを生んでいます。入口から屋上へ対称性をたどり、外灘の幅広い銀行の正面と比べてみましょう。[1]

幾何学の中に中国の意匠を探す

美術館はこの建物を、中国と西洋の要素が融合した建築と説明しています。入口付近の窓の形、手すり、文字装飾を近くで見た後、少し離れて全体の比率を確かめてください。細部と構成では、見る距離が変わります。[1]

修復して、使い続ける

チッパーフィールドのチームは歴史的な外観を保ちながら展示室を改修し、上層階をアトリウムで結びました。2023年には新しい入口と博物院広場が開き、街区の内側へと訪問の動線が広がりました。[3] [4]

一棟の建物、さまざまな役割

写真のあいだに広がる歴史

写真には撮影年代または出版年代を明記し、確かな画像がない時期は文章で歴史を伝えます。

  1. 19世紀

    建物に先立つ文化の場

    文会の図書館、博物院、講演活動がこの地に根づきました。現在の建物ができる前の、旧会館の歴史です。[1]

  2. 1932〜1933年

    現存する建物が完成し開館

    新館はジョージ・L・ウィルソンの設計です。美術館の公式説明は1932年竣工、文会会刊は1933年初めの開館としています。工事の完成と利用開始を区別して記します。[1] [2]

  3. 1941年

    書棚が伝える学術の時間

    会刊に1941年と記された図書館の写真には、書棚と本のある学術の場が写っています。建物の外観ではなく、室内の収蔵空間の記録です。[2]

    1941年のアジア文会図書館の書棚と本

    1941年(会刊の図注)

    アジア文会図書館の書棚。会刊99頁、図1。歴史的な室内の記録で、現在の蔵書所在地の写真ではありません。

    撮影者未記載・Peter Hibbard 論文 / RAS China 掲載 · 画像出典 · 原著作者・出典元に権利帰属

  4. 1952年

    活動の終了と資料の継承

    北中国支会は活動を終了し、蔵書や収集品を移管しました。その後の歩みは上海の博物館、自然史コレクション、図書館の歴史につながり、この建物の用途とは区別されます。[2] [6]

  5. 2008年1月

    修復前の虎丘路

    修復前の写真には車、電線、日々の生活の跡が残ります。2010年の同じ側からの写真と比べ、立面や周辺環境の変化を探してみてください。[2]

    2008年、修復前のアジア文会ビルの立面

    2008年1月

    修復前の街並み。車と電線も写っています。会刊124頁、図11。

    撮影者未記載・Peter Hibbard 論文 / RAS China 掲載 · 画像出典 · 原著作者・出典元に権利帰属

  6. 2010年

    歴史的建物に現代美術が入る

    上海外灘美術館は2010年に開館しました。2010年6月と記された写真は修復後の立面を示しています。展示の表示は当時のもので、現在の展覧会ではありません。[1] [2]

    2010年、修復後のアジア文会ビルと通り過ぎる自転車

    2010年6月

    2008年の写真と比較できる修復後の街景。会刊124頁、図12。

    撮影者未記載・Peter Hibbard 論文 / RAS China 掲載 · 画像出典 · 原著作者・出典元に権利帰属

  7. 2023年

    新しい入口と博物院広場

    2023年9月22日、新入口と博物院広場が開きました。歴史的な正面だけでなく、新たな公共空間から街区とのつながりを読み取れます。[4]

現在と見学

街路から建物を読み解く

まず虎丘路の歩道から歴史的な正面を眺め、案内に従って入口と広場へ進みましょう。建物を外から見ることと展示室への入場は別で、館内はその時点の案内に従ってください。[1] [5]

現在の用途
上海外灘美術館:現代美術の展覧会、研究、公共プログラム。
直近の案内
公式通知では展示準備のため2026年9月21日〜10月30日は休館し、10月31日に再開予定です。出発前に公式案内を確認してください。
散策を続ける
虎丘路で出版や劇場の旧跡をたどり、香港路または南蘇州路から円明園路へつなげられます。
地図で所在地を見る ↗

資料確認:2026-10-26 · 公開状況は美術館の最新案内をご確認ください。

上海と世界

知識、収集、美術はどう境界を越えるか

文会は学術ネットワークと収集の歴史を残し、今の美術館は作家、観客、都市と向き合っています。同じ団体が単純に続いてきたわけではありませんが、一つの住所が繰り返し文化交流の場となります。租界時代と現代上海の文脈では、交流、権力、公共教育をともに考えることが大切です。[1] [2]

資料と画像の出典

以下の資料をもとに再構成しました。Wikipediaを翻案・要約・翻訳した本文は、CC BY-SA 4.0 で提供します。元記事の執筆者は編集履歴をご覧ください。写真の利用条件は各画像の下に記載しています。

  1. 上海外灘美術館・概要と建築 ↗

    建築家、1932年竣工、当初の機能と現在の機関を確認。

  2. Peter Hibbard・アジア文会会刊、2023年 ↗

    「Comings and Goings」印刷頁98〜99で1933年の開館と1941年の図書館写真を確認。124頁の図11・12は2008年1月と2010年6月の外観。

  3. David Chipperfield Architects・ROCKBUND ↗

    修復、展示空間、アトリウムの改修記録。現代写真の出典。

  4. RAM・外灘建築祭2023:公共空間 ↗

    2023年9月22日の新入口・広場の開放を確認。

  5. RAM・臨時休館のお知らせ ↗

    2026年10月26日確認。10月30日まで休館、31日再開予定。今後の訪問時には再確認を。

  6. Wikipedia・Rockbund Art Museum ↗

    用途と収蔵品移管の補助確認。1932年と1933年は美術館と会刊の記録に基づき区別。

画像処理と年代について

画像は各写真の下に記載したアーカイブまたは画像出典ページによります。サイズ調整とWebP圧縮のみを行い、元の縦横比を保っています。着色や描き足しはせず、古写真の粒子、ぼけ、スキャン跡も残しています。

1941年、2008年、2010年の画像は会刊に埋め込まれた写真から抽出し、補描、着色、拡大補間はしていません。元の解像度が限られるため、小さめに表示します。各図注に撮影者の明記がないため、記事の著者を撮影者とは断定していません。