WANDER SHANGHAI

外灘6号 · 中山東一路

中国通商銀行ビル

Commercial Bank of China Building

尖った屋根の下に、中国人による銀行の初期の足跡

外灘6号では建物の年代、銀行の開業、後の改築を分けて読む必要があります。

古写真から歴史をたどる
2025年の中国通商銀行ビル。屋根に複数の尖った破風が並ぶ

2025年5月1日

中国通商銀行ビル正面。淡い壁、尖った破風、1階のアーチが現存する外観を示しています。

Suicasmo · 画像出典 · CC0 1.0

建物の概要

建築 / 銀行開業
1880年代 / 1897建築年代は上海都市建設公文書館による。一部概説には1906年改築とも
設計
モリソン商会上海都市建設公文書館の記録による
建築様式
ゴシック・リヴァイヴァル急勾配の屋根、尖った窓頂部、1階のアーケード
当初の用途
商業施設、後に通商銀行この敷地にはかつて競売会社があった
現在の用途
外灘六号の商業ビル全館の現入居者と内部公開は未確認
所在地
中山東一路6号日清ビルと大北電信ビルの間

建築と用途の資料[1]

建物のはじまり

なぜここに建てられたのか

中国通商銀行は盛宣懐が設立を進め、1897年に開業しました。銀行誕生は金融史の節目ですが、建物がその年に初めて現れたことを意味しません。上海都市建設公文書館は建設を1880年代にさかのぼらせています。[2]

英語名には異なる表記があり、古写真にはImperial Bank of Chinaとあります。ここで指すのは歴史上の中国通商銀行です。現代の招商銀行とも、北側の招商局ビルとも、機関や住所が異なります。[1]

見上げて、近づいてみる

足を止めて見たい三つの細部

まず屋根の尖った輪郭を探す

破風と窓の上部が上へ突き出し、南隣の日清ビルの直線的な軒蛇腹と対照をなします。小さめの建物でも、屋根のリズムで街並みの中に存在を示せます。[2]

アーケードから上へ変わる窓の形

1階の丸いアーチは歩行者の尺度の入口をつくり、上階の窓や破風は次第に尖った形へ移ります。一列の窓を下から上へ読むと、単に「洋風」と呼ぶより具体的に理解できます。[2]

現在の淡い壁色だけが原姿ではない

記録では外壁は当初赤煉瓦の素地仕上げで、後にセメント塗りとなりました。1908年図版の濃い壁と現在を比べられますが、白黒の階調から煉瓦の正確な色は復元できません。[2]

一棟の建物、さまざまな役割

写真のあいだに広がる歴史

前身の建物から現存する建物へ。写真には撮影年代または出版年代を明記し、確かな画像がない時期は文章で歴史を伝えます。

  1. 1880年代

    初期の商業建築が成立

    上海都市建設公文書館は建築年代を1880年代とし、当初は煉瓦と木による構造だったと説明します。1897年の銀行開業より前のことです。[2]

  2. 1893

    火災と修復

    記録によると4月7日の火災で上部2層が焼け、その後修復して使用を続けました。現存建物はまったく変わらぬ完全な原物ではありません。[2]

  3. 1897

    中国通商銀行が開業

    5月27日に正式開業しました。機関の設立と営業を示す日であり、そのまま建物の竣工日とは書けません。[2]

  4. 1906年前後

    改築の記録には相違がある

    一部の概説や百科事典は1906年の改築を記し、都市建設档案は1880年代の遺構を重視します。両者を未検証の工事年表に組み合わせず、相違を残しています。[1] [3]

  5. 1908年刊行

    濃い壁面を写す初期の画像

    Imperial Bank of Chinaと題した図版には、尖塔、破風、1階のアーケードが見えます。1908年は書籍の刊行年で、正確な撮影日は不明です。

    1908年刊行の中国通商銀行ビルの白黒写真。濃い壁面と尖った屋根が明瞭

    1908年刊行・撮影日不明

    Twentieth Century Impressions of Hongkong, Shanghai, and other Treaty Ports of Chinaの図版。原題はImperial Bank of Chinaです。

    撮影者不詳。Arnold Wright編 · 画像出典 · パブリックドメイン

  6. 20世紀後半

    海運機関が使用

    概説によると、銀行の後には長江輪船会社が使用しました。同じ建物で金融と海運が交代しています。[3]

  7. 現在

    歴史的な外観と商業利用が共存

    2025年の実写でも尖った屋根と1階のアーチが確認できます。具体的な入居者や公開状況は十分確認できていないため、外観の読み取りを中心にしています。

現在と見学

街路から建物を読み解く

左右の隣棟と一緒に見ると、ほぼ並んだ三種類の屋根を比較できます。[2]

対象を確認
中山東一路6号を確認してください。通商銀行旧址は、現在の招商銀行の営業店ではありません。
上下の変化を見る
アーチ、窓の上飾り、屋根の尖部を比べ、淡い外壁と古写真の違いにも注目します。
内部訪問
店舗利用やイベントで訪れる場合は、具体的な運営者に入口を事前確認してください。
地図で所在地を見る ↗

資料確認:2026-10-19 · 全館内部を一般観光客が見学できるかは未確認です。歴史的な銀行営業室の公開は約束していません。

上海と世界

銀行、海運、電信が並ぶ通り

北側の大北電信会社は遠隔通信を、南側の日清ビルは海運を担いました。三棟を続けて見ると、貿易に必要な資金、輸送、情報が川沿いの一本の通りに集まっていたことが分かります。[2] [1]

資料と画像の出典

以下の資料をもとに再構成しました。Wikipediaを翻案・要約・翻訳した本文は、CC BY-SA 4.0 で提供します。元記事の執筆者は編集履歴をご覧ください。写真の利用条件は各画像の下に記載しています。

  1. ウィキペディア・上海中国通商銀行ビル ↗

    沿革の照合に使用。年代の相違は本文に明記しています。記事は当サイトが独自に執筆し、写真の作者とライセンスは別途表示しています。

  2. 上海都市建設公文書館・中国通商銀行と大北電信会社のビル ↗

    上海都市建設公文書館による2023年の記事。建築年代、設計者、構造、外観の照合に使用。

  3. 上海市民政局・外灘の22棟の国際建築 ↗

    歴史建築の概説。一部の年代は機関の記録と異なるため、本文で分けて説明しています。過去の用途を現在の用途とはみなしません。

画像処理と年代について

画像は各写真の下に記載したアーカイブまたは画像出典ページによります。サイズ調整とWebP圧縮のみを行い、元の縦横比を保っています。着色や描き足しはせず、古写真の粒子、ぼけ、スキャン跡も残しています。

1908年の図版は元の白黒印刷をスキャンしたものです。濃淡から当初の壁色を正確に推定することはしていません。

建築年代に資料間の相違があるため、建物、火災、銀行開業、改築の説を分けて記載しています。