外灘6号 · 中山東一路
中国通商銀行ビル
Commercial Bank of China Building
建物の概要
- 建築 / 銀行開業
- 1880年代 / 1897建築年代は上海都市建設公文書館による。一部概説には1906年改築とも
- 設計
- モリソン商会上海都市建設公文書館の記録による
- 建築様式
- ゴシック・リヴァイヴァル急勾配の屋根、尖った窓頂部、1階のアーケード
- 当初の用途
- 商業施設、後に通商銀行この敷地にはかつて競売会社があった
- 現在の用途
- 外灘六号の商業ビル全館の現入居者と内部公開は未確認
- 所在地
- 中山東一路6号日清ビルと大北電信ビルの間
建築と用途の資料[1]
建物のはじまり
なぜここに建てられたのか
中国通商銀行は盛宣懐が設立を進め、1897年に開業しました。銀行誕生は金融史の節目ですが、建物がその年に初めて現れたことを意味しません。上海都市建設公文書館は建設を1880年代にさかのぼらせています。[2]
英語名には異なる表記があり、古写真にはImperial Bank of Chinaとあります。ここで指すのは歴史上の中国通商銀行です。現代の招商銀行とも、北側の招商局ビルとも、機関や住所が異なります。[1]
見上げて、近づいてみる
足を止めて見たい三つの細部
一棟の建物、さまざまな役割
写真のあいだに広がる歴史
前身の建物から現存する建物へ。写真には撮影年代または出版年代を明記し、確かな画像がない時期は文章で歴史を伝えます。
- 1880年代
初期の商業建築が成立
上海都市建設公文書館は建築年代を1880年代とし、当初は煉瓦と木による構造だったと説明します。1897年の銀行開業より前のことです。[2]
- 1893
火災と修復
記録によると4月7日の火災で上部2層が焼け、その後修復して使用を続けました。現存建物はまったく変わらぬ完全な原物ではありません。[2]
- 1897
中国通商銀行が開業
5月27日に正式開業しました。機関の設立と営業を示す日であり、そのまま建物の竣工日とは書けません。[2]
- 1906年前後
- 1908年刊行
- 20世紀後半
海運機関が使用
概説によると、銀行の後には長江輪船会社が使用しました。同じ建物で金融と海運が交代しています。[3]
- 現在
歴史的な外観と商業利用が共存
2025年の実写でも尖った屋根と1階のアーチが確認できます。具体的な入居者や公開状況は十分確認できていないため、外観の読み取りを中心にしています。
現在と見学
街路から建物を読み解く
左右の隣棟と一緒に見ると、ほぼ並んだ三種類の屋根を比較できます。[2]
- 対象を確認
- 中山東一路6号を確認してください。通商銀行旧址は、現在の招商銀行の営業店ではありません。
- 上下の変化を見る
- アーチ、窓の上飾り、屋根の尖部を比べ、淡い外壁と古写真の違いにも注目します。
- 内部訪問
- 店舗利用やイベントで訪れる場合は、具体的な運営者に入口を事前確認してください。
資料確認:2026-10-19 · 全館内部を一般観光客が見学できるかは未確認です。歴史的な銀行営業室の公開は約束していません。
上海と世界
銀行、海運、電信が並ぶ通り
北側の大北電信会社は遠隔通信を、南側の日清ビルは海運を担いました。三棟を続けて見ると、貿易に必要な資金、輸送、情報が川沿いの一本の通りに集まっていたことが分かります。[2] [1]
資料と画像の出典
以下の資料をもとに再構成しました。Wikipediaを翻案・要約・翻訳した本文は、CC BY-SA 4.0 で提供します。元記事の執筆者は編集履歴をご覧ください。写真の利用条件は各画像の下に記載しています。
- ウィキペディア・上海中国通商銀行ビル ↗
沿革の照合に使用。年代の相違は本文に明記しています。記事は当サイトが独自に執筆し、写真の作者とライセンスは別途表示しています。
- 上海都市建設公文書館・中国通商銀行と大北電信会社のビル ↗
上海都市建設公文書館による2023年の記事。建築年代、設計者、構造、外観の照合に使用。
- 上海市民政局・外灘の22棟の国際建築 ↗
歴史建築の概説。一部の年代は機関の記録と異なるため、本文で分けて説明しています。過去の用途を現在の用途とはみなしません。
画像処理と年代について
画像は各写真の下に記載したアーカイブまたは画像出典ページによります。サイズ調整とWebP圧縮のみを行い、元の縦横比を保っています。着色や描き足しはせず、古写真の粒子、ぼけ、スキャン跡も残しています。
1908年の図版は元の白黒印刷をスキャンしたものです。濃淡から当初の壁色を正確に推定することはしていません。
建築年代に資料間の相違があるため、建物、火災、銀行開業、改築の説を分けて記載しています。

